お前が欲しい、というのをまるで決まり文句のように乱用する男に、

 「お前の全てが欲しい」

と言われたので、勢いのまま、殴った。
今は反省している。




 何故こんなことになったのか、と自らの所業を振り返るも、決定的な失敗というものは浮かんでこない。いつも自分は小さな過ちを繰り返しては、取り返しのつかない大きな災いを呼び寄せる。ときにその災いは幸いをも巻き込んで原因である自分の元へ漂着するが、気付くのはいつも、感情の処分が済んだ後のことだ。
 ガレイデン、と名乗る男と関係を深くしたのは、果たして過ちなのか、災いなのか、幸いなのか。少なくとも、どれか一つに定められるものではないほどには、事態は混迷し乱雑極まる体を見せていた。確かなことは、互いに互いを欲していること、くらいだ。

 ネブラ以外がそれを見れば、おそらく多くの人間が「意外」と評するであろう乱れのない寝姿を眺めつつ、彼女(そして多くの人間にとっては彼)は自問を続ける。何故私はこの男を受け入れた?

 実のところ、答えにはもう到達しているのだが、ネブラにとってそれを許容するのは大変に困難なもので、許容することで訪れる欲求というのもまた、処理の仕方に長いこと悩まされること必至の超絶難関試練に違いない。
 いつものように遠い目をして受け入れるには、ネブラはまだ「おんな」にはなりきれていないのだ。


 だけれども、今回ばかりは「流された」訳ではない。
 ゆえに、流されるまま答えを無かったことにするわけにはいかない、ということもまた、ネブラの中では確かなのだ。


 ガレイデンは自らを失い、名を捨て、変貌した。
 しかし、
 「何故愛した?」
 などと女々しいことを言う男ではないことは変わらないままだ。それに返答する形で意志を表明することはできない。だから、ネブラがそれを伝えるには、流されるままではいけない。分かってはいるのだけれども、


 (恥ずかしいだろうが)

 大問題だった。
 誰に相談しようと、恐らくは「下らない」と一蹴される問題だろうけれども、ネブラにとっては一大事だ。
 隣で呑気に寝息を立てている男には当然伝わってはいないだろうが、ネブラはいつも羞恥と全力で戦っている。
 男として育った時間の方が女として意識した時間より圧倒的に多いネブラにとって、女として扱われることは「慣れない」どころの騒ぎではない。男である、という建前の堅い殻のうちにある女のネブラは、軟弱に過ぎるこころを決死の思いで晒しているのだ。この上羞恥が極まれば死ぬんじゃなかろうか、程度には、それなりに、頑張っている。

 ガレイデンを愛しているので。

 「…!!…!!!!!」

 思考回路が至った結論に文字通りネブラは悶えた。顔が熱い。死ぬ。バカじゃないのか。顔どころか全身が熱い。暗くてよかった。
 誰が見るでもない表情を両手で隠しながら、忍びよる死の気配をネブラは必死で見なかった振りをする。こんなことで死ぬわけにいかない。こんなことでは本番に耐え切れない。耐えろ私。今だけは必死で生きろ。

 ガレイデンの苦悩に比べれば、こんなもの。
 取り除くための羞恥死など、安いものだろう。






お前が欲しい、というのをまるで決まり文句のように乱用する男に、

 「お前の全てが欲しい」

と言われたので、勢いのまま、殴った。
今では反省している。

失った過去に囚われている男は、ネブラがその過去を愛しているかのように錯覚し続ける。
だからネブラは殴るのではなくて、

 「お前の魂が欲しい」

と、そう教えてやらなくてはならないのだ。
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