ようやくこの騒がしい日が終わる。
くだらぬ。と、言うことすら冷やかしの対象になるのだと知ってから、誰に話しかけられてもむっつりと黙りこんでいた魔剣は、とうとう詰めていた息を長く深く吐きだした。本来は呼吸することすら無意味だと知りながらもなお、ヒトを模したような表情を浮かべるのは紛れもなく「ばれんたいんでー」とやらにゴリゴリと気力を削られていたからに他ならない。
朝起きていつものように寒天を買いに行くのまでは良かった。
だがどうだ、どこを探しまわっても寒天が無い。店員に聞けば「済まないねえ、今日ばかりは許してあげておくれ」と意味のわからないことを繰り返すだけ。辛抱強く聞きとるならばこうだ、ショコラを仕入れることが精一杯で、今日だけは寒天を置いていないのだと。
許すまじばれんたいん。
聞きとりだけでは礼にもとると適当に掴んだ商品すらもまた丁寧に包装されたショコラであった。にこにこと何故か上機嫌に見送る売店の女性を背に、アルダバランは軍靴の音も高らかに、討ち取った敵の懐を荒らすが如く荒々しく包装紙を破り捨て煌びやかに飾りつけられたショコラに齧りついた。
「甘いわァ!!」
誰とも無しに吼える声が学院の空に響く。
―――そうとも、今日はばれんたいん。どこもかしこも甘くほろ苦く、涼やかな寒天の出る幕などない。
きゃっきゃうふふ、女生徒が秘密めかして相談ごとを交わす声があちらこちら、落ち着きなくどこか上滑った会話を流す男子生徒の収める視界はいつもよりも随分と広い。ちゅんちゅんぴぴぴといつものようにうたう小鳥の声すらも甘ったるく感じるほどに、彼の精神は刻一刻と削られていた。なにせアルダバランという魔剣は呪いから生まれたヒトを斬るための剣である。何がかなしくてヒトの幸せオーラ充満した世界でぽつんと甘味齧らにゃならんのか。
闇の戦場にかの魔剣ありと愚かなヒトどもに謳われたことも少なくはない、しかしこれほどまでに自らの解析能力を呪ったことはあるものか。アルダバランのかりそめの体の秀麗な顔にまた一つ影が落ちる。寒天がたべたい。
ふらふらと彷徨い出でるは学生街、しかし結果から先にいえば大体同じような理由で彼が寒天を入手することはできなかった。おのればれんたいん。理由はわからんがどうやら女生徒から男生徒へショコラを贈るのがしきたりの様子。あちらこちらで急増カップルが見て取れた(そう理解するのも彼の能力であったので、やはりアルダバランは自身の能力を激しく呪った)。
なぜだ。
アルダバランは自嘲する。なぜ、今日という日に限ってショコラ一つ如きでヒトは幸せをやりとりできると信じるのだろう。ショコラ一つで幸せになるのなら、我ら魔剣などは始めから必要なかっただろうに。そう、戦いで手に入れる幸せなど脆く儚いものだ。口に入れて溶け消えるショコラと比べ得るほど。
「馬鹿馬鹿しい」
「ほんとだよ」
吐き捨てた言葉を拾う声に目を向ければ、恨めしげに道の向こうを見つめる子供が1人、陰気な面を隠しもせずに立っている。
「なにがバレンタインだよ、みんな浮き足立ってさ」
「なるほど振られたか」
物凄く分かりやすい少年の状況に同情するでもなく嘲笑するでもなくアルダバランは納得した。良かったそうそうヒトってこれだよね、と思ったのである。ショコラ一つで幸せになってたまるかと。ほらみろこの少年は幸せにならなかったし、ワタシだって寒天食べられなくてこんなに苦しい。
ふんふんと頷くアルダバランに激昂したのか、少年は勢い良く拳を振り上げた。だが、大人しく食らうようなら呪いの魔剣は務まらない。子供相手でも大人げなく華麗に足払いするのがアルダがアルダたる所以であった。すてーん、と表現するのが最も適切であろう。大の字になった少年はうう…と湿っぽいうめき声を洩らした。
「…なんだよ、姉ちゃんだって振られたんだろ」
「誰が貴様の姉だ」
「いやちげーよ」
アルダバランが忌々しそうにヒトを見るのは誰かにショコラを贈りたいのでも、誰から贈られたいのでもない。ただ、そのショコラのあることそのものが煮え滾るほどに憎らしかった。今すぐにあの口の中のショコラを臓物にすり替えてやろうかと、微笑む男と女を見つめ夢想するほどに。世界はそう甘く出来ていないのだと、幸せに緩む頬を恐怖と嫌悪でひきつらせてやりたかった。
そうでなくては。
「………いや」
「なんだよー」
「…そう、振られた気持ちになっている…のかも、知れぬ」
そうでなくてはワタシが生まれた意味などありはしない。そう、アルダバランは呪いの魔剣だ。ヒトに魔剣に恐怖を齎し恨みを吐かせるためだけに存在する魔剣だ。そう簡単に幸せを拾われることなど認められはしないのだ。たったひとつのショコラだけで。たったひとつのことばだけで。
「んじゃそれオレが貰うからさ、お相子でいーよ」
聞きとりのために買った既製品の小さなショコラ・スイーツ。甘すぎて辟易して、結局一つを除いては食べられなかったショコラの箱を、少年は寒さで真っ赤になった指先で真直ぐさした。
石畳に未だ座り込んだままの少年はうつむきがちに、しかしアルダの瞳をしっかりと捉えてみつめている。心拍数は高め。子供という要素を差し引いても。
少年はアルダとのやりとりを経て恋愛の形態をとり、そうして失恋したばかりの心を癒そうとしているのだと―――それが無意識のうちに行われた彼の精神防衛なのだと、アルダには分かった。ヒトのもつべき逞しさと醜さを、少年は既に身につけている。
アルダバランの仮初の肉体には自然とほほ笑みが浮かんでいた。
そう、そうだ。ヒトはこうでなくてはならない。お前たちは醜く無様で弱弱しく。それでいて逞しくあらねばならない。
「なるほど、お前にならば拾わせてやっても構わないだろう」
「…拾う?」
「これはワタシがここへ捨てるのだ。だから、その後どうなるかはワタシの知ったことではない」
「…姉ちゃん素直じゃねーのな」
生意気をいう口元を限界いっぱいまで引き延ばしてやりながら、アルダバランは真っ赤な手にショコラ・スイーツの箱を落とした。落としたものには違いなかった。
そうして彼は帰路につく。
結局自分もイベントに乗せられてんじゃね?という疑念の声が自らの内で囁かれるまでは、それなりに穏やかな心境で。
まあつまりは。
気付いたあとはやっぱりうんざりしながら部屋にこもることになるのだけれども。
くだらぬ。と、言うことすら冷やかしの対象になるのだと知ってから、誰に話しかけられてもむっつりと黙りこんでいた魔剣は、とうとう詰めていた息を長く深く吐きだした。本来は呼吸することすら無意味だと知りながらもなお、ヒトを模したような表情を浮かべるのは紛れもなく「ばれんたいんでー」とやらにゴリゴリと気力を削られていたからに他ならない。
朝起きていつものように寒天を買いに行くのまでは良かった。
だがどうだ、どこを探しまわっても寒天が無い。店員に聞けば「済まないねえ、今日ばかりは許してあげておくれ」と意味のわからないことを繰り返すだけ。辛抱強く聞きとるならばこうだ、ショコラを仕入れることが精一杯で、今日だけは寒天を置いていないのだと。
許すまじばれんたいん。
聞きとりだけでは礼にもとると適当に掴んだ商品すらもまた丁寧に包装されたショコラであった。にこにこと何故か上機嫌に見送る売店の女性を背に、アルダバランは軍靴の音も高らかに、討ち取った敵の懐を荒らすが如く荒々しく包装紙を破り捨て煌びやかに飾りつけられたショコラに齧りついた。
「甘いわァ!!」
誰とも無しに吼える声が学院の空に響く。
―――そうとも、今日はばれんたいん。どこもかしこも甘くほろ苦く、涼やかな寒天の出る幕などない。
きゃっきゃうふふ、女生徒が秘密めかして相談ごとを交わす声があちらこちら、落ち着きなくどこか上滑った会話を流す男子生徒の収める視界はいつもよりも随分と広い。ちゅんちゅんぴぴぴといつものようにうたう小鳥の声すらも甘ったるく感じるほどに、彼の精神は刻一刻と削られていた。なにせアルダバランという魔剣は呪いから生まれたヒトを斬るための剣である。何がかなしくてヒトの幸せオーラ充満した世界でぽつんと甘味齧らにゃならんのか。
闇の戦場にかの魔剣ありと愚かなヒトどもに謳われたことも少なくはない、しかしこれほどまでに自らの解析能力を呪ったことはあるものか。アルダバランのかりそめの体の秀麗な顔にまた一つ影が落ちる。寒天がたべたい。
ふらふらと彷徨い出でるは学生街、しかし結果から先にいえば大体同じような理由で彼が寒天を入手することはできなかった。おのればれんたいん。理由はわからんがどうやら女生徒から男生徒へショコラを贈るのがしきたりの様子。あちらこちらで急増カップルが見て取れた(そう理解するのも彼の能力であったので、やはりアルダバランは自身の能力を激しく呪った)。
なぜだ。
アルダバランは自嘲する。なぜ、今日という日に限ってショコラ一つ如きでヒトは幸せをやりとりできると信じるのだろう。ショコラ一つで幸せになるのなら、我ら魔剣などは始めから必要なかっただろうに。そう、戦いで手に入れる幸せなど脆く儚いものだ。口に入れて溶け消えるショコラと比べ得るほど。
「馬鹿馬鹿しい」
「ほんとだよ」
吐き捨てた言葉を拾う声に目を向ければ、恨めしげに道の向こうを見つめる子供が1人、陰気な面を隠しもせずに立っている。
「なにがバレンタインだよ、みんな浮き足立ってさ」
「なるほど振られたか」
物凄く分かりやすい少年の状況に同情するでもなく嘲笑するでもなくアルダバランは納得した。良かったそうそうヒトってこれだよね、と思ったのである。ショコラ一つで幸せになってたまるかと。ほらみろこの少年は幸せにならなかったし、ワタシだって寒天食べられなくてこんなに苦しい。
ふんふんと頷くアルダバランに激昂したのか、少年は勢い良く拳を振り上げた。だが、大人しく食らうようなら呪いの魔剣は務まらない。子供相手でも大人げなく華麗に足払いするのがアルダがアルダたる所以であった。すてーん、と表現するのが最も適切であろう。大の字になった少年はうう…と湿っぽいうめき声を洩らした。
「…なんだよ、姉ちゃんだって振られたんだろ」
「誰が貴様の姉だ」
「いやちげーよ」
アルダバランが忌々しそうにヒトを見るのは誰かにショコラを贈りたいのでも、誰から贈られたいのでもない。ただ、そのショコラのあることそのものが煮え滾るほどに憎らしかった。今すぐにあの口の中のショコラを臓物にすり替えてやろうかと、微笑む男と女を見つめ夢想するほどに。世界はそう甘く出来ていないのだと、幸せに緩む頬を恐怖と嫌悪でひきつらせてやりたかった。
そうでなくては。
「………いや」
「なんだよー」
「…そう、振られた気持ちになっている…のかも、知れぬ」
そうでなくてはワタシが生まれた意味などありはしない。そう、アルダバランは呪いの魔剣だ。ヒトに魔剣に恐怖を齎し恨みを吐かせるためだけに存在する魔剣だ。そう簡単に幸せを拾われることなど認められはしないのだ。たったひとつのショコラだけで。たったひとつのことばだけで。
「んじゃそれオレが貰うからさ、お相子でいーよ」
聞きとりのために買った既製品の小さなショコラ・スイーツ。甘すぎて辟易して、結局一つを除いては食べられなかったショコラの箱を、少年は寒さで真っ赤になった指先で真直ぐさした。
石畳に未だ座り込んだままの少年はうつむきがちに、しかしアルダの瞳をしっかりと捉えてみつめている。心拍数は高め。子供という要素を差し引いても。
少年はアルダとのやりとりを経て恋愛の形態をとり、そうして失恋したばかりの心を癒そうとしているのだと―――それが無意識のうちに行われた彼の精神防衛なのだと、アルダには分かった。ヒトのもつべき逞しさと醜さを、少年は既に身につけている。
アルダバランの仮初の肉体には自然とほほ笑みが浮かんでいた。
そう、そうだ。ヒトはこうでなくてはならない。お前たちは醜く無様で弱弱しく。それでいて逞しくあらねばならない。
「なるほど、お前にならば拾わせてやっても構わないだろう」
「…拾う?」
「これはワタシがここへ捨てるのだ。だから、その後どうなるかはワタシの知ったことではない」
「…姉ちゃん素直じゃねーのな」
生意気をいう口元を限界いっぱいまで引き延ばしてやりながら、アルダバランは真っ赤な手にショコラ・スイーツの箱を落とした。落としたものには違いなかった。
そうして彼は帰路につく。
結局自分もイベントに乗せられてんじゃね?という疑念の声が自らの内で囁かれるまでは、それなりに穏やかな心境で。
まあつまりは。
気付いたあとはやっぱりうんざりしながら部屋にこもることになるのだけれども。
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