「こっちの準備はできてる!」

乾いた風に透る声は心地よく、ディーマガランスはヒトよりも大きな瞳を細め笑みに近い表情を形づくった。オミクロケラス、彼と将来を誓い合った女エルフは、焔色の髪を高く結いあげ、モス・グリーンの髪紐を煌めかせてこちらへ走り寄る。近頃では女らしく様相を整えることを厭わなくなってきたとはいえ、旧き巫女の姿を模した衣装は彼女の振る舞いにとって枷となるようだ―――主に、精神的な面で。徐々に速さが落ち、三歩ほど先で立ち止まったケラスは頑なに視線をこちらへ合わせようとしない。今、自分がどんな姿をしているか思い至ったのだろう。思い出さなければ良かったのに、と心の片隅で呟きながら、ディーは小さく首を傾げて彼女の様子にはまるで気付かない風に、

「似合っている」

と素直に誉めた。3歩先から躍り出るようにして鉄拳が飛ぶ。こういうのを、間合いが広い、というのだとディーはケラスから教わった。果たしてこちらをも誉めるべきだろうか、と逡巡しながら、ディーはぱったりと砂地に倒れ伏した。
ケラスは今日も元気だ。
それはとても望ましいことだと、ディーは思う。



夕焼けの肌に焔色の髪をしたバフルエルフたちが棲む砂漠が、かつて海であったことを知る者は今となっては殆ど存在しない。というのが、つい先日までの真実であった。彼ら(正確には、彼女ら、と言うべきだろう)は盗賊のように近隣の里から資源を奪って生き延びていた。そう、彼女たちも、近隣に住む人間も、生き延びていた、というに相応しく困窮していた。

同じように困窮していた一族であったのが、天青石色の肌をして菫青石色の髪をしたセグァエルブン、ディーがかつてその末席にあったエルフたちであった。彼らは地からマナを強く受けることで生きていたが、その勢いをとどめることが出来ずに肉体の結晶化を受け入れて生きる他なく、その性質により人の世に交わることは禁忌ともされていた。

セグァエルブンの地のマナ、そしてバフルエルフの時遡の術を持ってすれば、死の砂漠を再びあるべき姿に戻すことができる、と気付いたのちの、ケラスと、ディーの決断は早かった。

どちらも一度棲みかを脱した身ではある。
しかし、だからこそ、変化を厭う長命種の欠点を自覚していた。
最も―――彼らは一族のためにというような大層な目的を持ってその弁舌(であり、ときに武力でもあった)を振るったわけではない。彼らは自らに許された時を生きる重さを、互いの瞳に知ったのだ。
少しでも傍にいたい。
彼らの我儘が発端の、大規模な土壌開発は、今日をもってその最終段階に入ろうとしていた。




「本当に出来ると、其方は言うのだな」

体の半ばを結晶と変じ、声なき声で語るセグァエルブンの顔役は、ぎらついた銀の瞳をぐるりと廻してもう十数回は繰り返した問いをもう一度口にした。

「我が父祖にかけて」

ディーマガランスは腹まで達した水晶に阻まれながらも、正式な礼をとり誓った。
十数回繰り返したうち、初めての名である。顔役とその護衛は息を呑んだようにひゅうとマナをその足に纏わせた。

「まことか」
「まことにございます」

ディーマガランスの父祖は、セグァエルブンが青の洞窟に籠るまでに一族を率いた英雄の一、賢人の水晶である。その記憶の一部を継ぎ、何れは魔晶石の子として元老院にすら入っただろうとされたディーマガランス―――しかしそれは彼の掟破りによって白紙となった―――彼の言葉であることにこそ、その誓いの意味はあった。

「父祖の記憶が。我らを導いております」

確信をもって告げたディーマガランスに、顔役はとうとう諦めたように首を振った。

「よかろう。ならば。いかなる結末をも見届けるのが我が役目ゆえ。其方の術式の行使を、我が祖の目によって許そう」
「光栄にございます」

ディーマガランスは深い礼を崩さぬまま、同じく太祖の子である顔役の前を辞した。
その胸中は、果たして誰にもわからなかった。



(あぶなかった)

ディーの心境を端的に表すのならばこうなるだろう。もちろん、彼は全く嘘をついているわけではなかったし、彼が海の復活を信じているのも本当である。しかしその根拠が良くない。あまりにも良くなかったので、彼はそれを口にすることを厭うたのである。

(まったくもって。あぶなかった)

彼の確信はある意味―――父祖への侮辱そのものであったから。



そもそも父祖、地の賢人が洞窟に一族を率いたのにはあまり深い意味があるわけではない。代々賢人の知を継ぐものたちが頑なに口を閉ざした真実の欠片は、ディーも洩れなく継いでいた。

確かに、セグァエルブンがすすり上げる地のマナとかの地は相性が良く、また金銭目的で魔晶石を欲するものたちから身を守るには都合のよい土地であった。流石は地の賢人、とエルブンの知識人はそろって賛美した。それは単なる副産物、二次三次の目的であったことを知ることなく。

本当のところ。
賢人は、失恋した傷心を癒すためにひきこもったのである。

そりゃ代々口を閉ざしたくなるというものだ。しかも、よりにもよって、この世のものではない冥魔の祖、災厄の魔女に求婚したというトンデモ歴史すら絡みついた真実に、一体だれが好き好んで触れようというのか。

(絶対、すごく、いろんな方面から怒られる)

たぶんみんな同じこと思っただろうなー、とディーは考えていた(意訳)。賢人の一族が殊のほか口が堅いのも、もしかするとそんな事実をひた隠しにしようとしたなれの果てなのかもしれない。あまつさえ求婚したことすら理解されずにがっくり地に膝ついたとか、言えない絶対言えやしない。




だから、もう、大丈夫なのだ。
確信を持ってディーマガランスは空を見上げる。

そこには、かの賢人が見たはずの空を駆ける影は無く、紺碧の空が地平線まで広がっている。
心のなかの賢人は言う。
もう大丈夫だ、と。

儀式を執り行う身を清めようと、ディーのもとにはセグァエルブンの祭祀が近づいていた。鼻を掠める銀蜜楓の甘い蜜香に、ふと脳裏をよぎるのは小さな影だ。


(あ、ねえねえ、もしかしてそれって銀蜜楓のリキュール?
 プリンのカラメルに混ぜると美味しいのよねー♪
 もし良かったら一口ちょーだい♪
 …そ、そのかわりコレ一個あげるから。
 今日見たことは秘密よっ、良いわねっ!)


果たして。
そんな風にしてディーマガランスにプリンを押しつけて駆け抜けた、あの小さな影はなんだったろうか。
大丈夫だ、と、囁く声に幻は幻へと還る。


「何か余計なこと考えてただろ、ディー」

むにぃ、と頬を横から抓られてとうとう、ディーマガランスの意識は砂漠へと着地する。少し低い位置にある焔色の髪。紅色の巫女は化粧で彩られた顔を不機嫌そうに歪めている。

「…もう、大丈夫だ」

囁き続けられる柔らかい声を繰り返すように、ディーは自分の顔に添えられた手をとって微笑んだ。
過去を振り返るのはまだ早い、と、ディーは自らの先に延びる時間の道を思った。その横に、この赤いエルフの姿があれば、とても幸せなことであろうとも。



おそらく、大丈夫なのだと思う。
ヤケっぱちになったように囁く太祖の声がある限り。

(リア充ども全員爆発しろよマジで)

意訳するとそんな風に聞こえる彼の声がある限り、ディーも、ケラスも、たぶんどこかで笑っているはずの小さな影も、誰かと共に生きてゆくのだろうから。



------------


太祖はニルステを応援しています。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。