なぜ、とくちびるが形作ったのをみて、そして初めて彼はなぜか、を考えた。
とはいえ、彼は思考というものには慣れていないから、とても簡単な答えしかでなかったのだけれど。
「俺、お前のこと嫌いだったんだ」
喉につかえたものを吐きだすようにしてクラムはうなだれた。そうしてからすぐに顔をあげて、
「あ、でも今は違うし。なんつうか、俺が悪かったっつうか、そういうやつで」
表情を変えないまま顔を傾けるかれに気が付き、やや勢いを失った。そう、かれ、クラムの同僚は自分が嫌われていることに動じないくせに、好かれていることには「なぜ」と問う、そんなひとだった。
「お前さ。俺より後にここ来たろ。お前は知らなかったかもしれねえけど、俺、けっこう褒められたりしてて、まあまあいけるんじゃねえかとか思ってたんだわ。勉強は嫌いだったけど、体動かすのは好きだったしな。鍛冶って俺に向いてるんかも、とか、まあ今思えば調子乗ってたんだけどな。ガキと変わんねえな」
だからクラムにとってかれの存在は、予想外という他ないものだった。クラムのように無骨な男たちばかりの鍛冶場に、女子供が騒ぎそうな綺麗な顔、痛々しく縦に走った傷。娘とおなじ年頃だから放っておけなくてな、親方がかれにあてがった部屋から出てすぐに『仲良くしてやれ』そう言ったけれど、まさか弟子にとるだなんて思いもしなかったのだ。何せかれは女のように綺麗な面をしていて(傷はあったが、それさえ誉めるのに邪魔にならないほどだ!)、鍛冶場なんていう男の世界よりも、酒場の舞台や服飾店がお似合いに見えたから。
そう、かれがハンマーをとったときは皆、諦めると思っていた。
それが弟子の中で誰よりも鮮烈な印象を残す剣を造り出す鍛冶師になるなんて、誰も予想することはできなかったのだ。
「悔しかったんだよ、俺。だってさ、お前が来るまでは一応、一番筋がいいってことになってたしよ。まさか一番の新入りに抜かされることになるとは思わねえだろ。それも、女みてえに綺麗な面した野郎にさ。そんなんおかしいだろ、って思ってた」
顔なんて関係ないのになあ。いや、うん、綺麗なのはほんと綺麗だと思うけど。
やはり慌てて弁解するような口調になったクラムを、かれはただ穏やかに眺めていた。
「んでさ、お前、それ、知ってただろ」
鬱屈した思いを抱えていたのは、何もクラムだけではなかった。むしろ、立て続けに新入りに上を行かれた兄弟子たちの方こそ、かれに煮え切らない思いを抱えていたといえる。彼らはしきりにクラムに「かれ」への文句を言わせたがった。クラムはそれに違和感を持つことは無かったし、積極的にその誘いに乗るばかりだった。
かれの部屋が、溜まり場に近いのだと気付くまで。
「前にさ、俺、お前に聞いたことあるだろ。なんでそんな上手く打てるのかって。したらお前『音が違う』つってたろ。そんでさ、こいつ耳が良いんだってわかったけど」
熱い金属の奏でる僅かな音の違いを聞き取れる彼が、兄弟子たちのたまり場の声を聞き取れないなんてこと、有る筈がない。
こうして告げた今、否定の声が無いのが何よりもの証拠だった。
「なのにお前が笑ったから」
だから好きになった。
真直ぐに告げて初めて、かれの表情が動いた。いつもと同じように、どこか戸惑ったような顔だったけれど。
「最初は無理してんのかな、とか裏で何考えてんだ、とか思ったけど。お前普通に茶出すし、普通に笑うし。話す時も普通だし。んで、思ったんだけど、お前嫌われることが普通だと思ってんのな。嫌ってた俺らに混じってるときの方が、親方やらお嬢さんやらと喋ってるときより落ち着いてるだろ。あれ、好かれてるからだろ?」
がしがしと無骨な手で頭を撫でられたり、一緒に食事を作ろうと誘われたりするときの顔は、今と同じような戸惑った表情ばかりだった。兄弟子たちに混じって近所の女の噂話や技術の話を聞いているときの方が、余程穏やかだった。まるでそれが普通なのだというように、そうあるべきだというように。
「そういうのってしんどいだろ。好きだとかそういうのをさ、受け取れないっつうか、そういう…なんつうの、人生みたいなのって。お前から周りがどんな風に見えてんのか知らねえけどさ、お前の剣ってさ、すげえいろんなもんが見えんのな。お前のや親方のと俺らの剣が違うのって、なんかそういう、…なんだ、厚みっつうの?いや、実際に厚いんじゃなくて!な!あの!…経験?みたいなの、が、あると思う」
そうして気付いてみれば、自分の怒りがどんなに滑稽なものだったのかと気付く。かれが何を感じて生きてきたのか、今何を思って生きていたのか、クラムには分からないことだらけだったけれど、「自分とは比べ物にならないほど沢山のものを見ている」のはその端っこくらいは感じられるのだ。そんな人間が真剣になって打った剣と、調子に乗った子供が打った剣。どちらが優れているかなど、比べるべくもなかった。
それからはとてもはやかった。
いわれのない陰口を叩かれていることを知りながら、炎を見つめ、懸命に槌をふる姿。文句一つ言わず下働きをこなし、穏やかに笑んでみせる様。親方に挨拶するときだけは、未だにどこか硬くなる気配。クラムはそれでも、炎を扱う芸術家のはしくれだ。そんなかれを、姿かたちにかかわらず、きれいだ、と、思ったのだ。
「だから俺は、お前を守りてえんだ」
いや。自分の言ったことを反芻して、首を振る。
「お前がどう思うかは関係ねえ。どうせ迷惑がるだろうからな。でも俺が決めたんだから、お前には文句は言わせねえ。俺はお前を守る。絶対に、一生かけて守る。そう決めた」
お前が好きだという人間からお前が逃げないように、お前を傷つける全てにお前が逃げ込まないように。
俺はお前に幸せだと笑ってほしいんだ。
困った笑顔じゃなくて、心の底からの、笑顔が見たい。
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