才能の無い男の話をしよう。
彼はどうしても成し遂げたいことがあった。あるいは、どうしても欲しいものがあった。あるいは、特にどういう目標もなく、ただそうすることが好きだった。
ある日彼は才能のある者を見る。そいつは、彼の何倍ものスピードで、彼を追い抜いた。
彼が手を伸ばしていたところへ。あるいは、もっと先へ。彼の知らないところへ、才能のあるものは容易に追いついた。
鴨原ウツホは恵まれた男である。両親は健在で、富豪とは言えないまでもちょっと目を引く家に住んでいるくらいには、金に困ったことはない。彼自身も見目はそれなりに良く、学生時代に女に困ったことはない。頭だって悪くない。特になりたいものなんてなかったけれど、進路に困ることは無かったくらいだ。運動だってできる。真面目にやったことはないれけど、部活で、授業で、上手いやつらと呼ばれる程度の力は持っていた。
「わかんねえだろ、お前には俺の気持ちなんてさ」
そういう風にくだを巻く男を前に、ウツホは「またか」と肩を竦めてロングアイランド・アイスティーを傾ける。最近お気に入りのドリンクだ。細かい氷がグラスの中でザラザラと鳴る。そろそろ次のものを頼もうか、なんて考えたタイミングで、元同僚の男は荒々しく自分のグラスをコースターに叩き付けた。静かな店内に一瞬の緊張が走り、しかし男がそのまま肩を震わせるのを認めると各々の会話は再び繋ぎ合わされる。「ああびっくりしたね」なんて酒の肴にされる程度の、そんな感情の発露。
わからないに決まっているだろう。
ウツホは残りの少なくなったグラスの中をかき混ぜる。わからない。その程度の泣き言じゃあ、友人の俺にだってお前の気持ちはわからないよ。
声に出さないまま、彼は友人に応えた。これは分かってもらわなくても良い言葉だから、彼はおとなしく口をつぐむ。
落ち着いた曲が途切れ途切れに聞こえている。友人はだんまりを続けている。
友人は数週間前に仕事を辞めた。元は同僚だった彼らは、そのまま付き合いを続けている。ウツホが強く連絡を取りたがったのだ。いきなり職場を辞めた彼が、何を考えているのか知りたかった。彼は最初随分と渋ったが、何度か外へ連れ出すとぽつりぽつりと自分を語るようになった。
同じ仕事をしても、お前はいつもその先へ行く。同じだけできていたはずなのに、お前の評価のほうが高い。わかってる、お前のプレゼンテーションは上手いよ。
でもどうしたって俺はそれが悔しくて堪らなくて、評価してくれない上を憎んで、俺をみないあいつが憎くて、お前が憎くて、そんな俺が嫌だった。
ごめん。良くしてくれているお前にこんなことを言うだなんて、俺はダメなやつだ。
そんなことない、お前はよくやったって、お前に言われたくてこうして卑下をしている。
お前が今だって憎くて堪らないのに、お前しか俺のところに来るやつはいなくて、お前に縋り付くようにしてお前に、ああ、俺はなんて醜いんだろう。
ウツホは幾度もそんな独白を聞いた。
ウツホは何度だってそれをおとなしく聞いていた。
才能の無い男の話をしよう。
たとえば彼に才能があったとして、それは彼を救うことになっただろうか。あるいは、才能を凌駕する努力ができたとして。あるいは、自分もがんばろうと思う前向きな気持ち。
そんなことは無いと多くの人は知っているはずだ、人には限界というものがある。
才能はより強い才能に目を奪われ、努力も向上心もいつかは擦り減り灰になる。
けれども人はそう言うのだ。
知っているのにも関わらず、そう言うのだ。
純粋な善意で。あるいは何も考えずに戯れに。あるいは面倒くさいのを堪えて。あるいは心の底からの気持ちを込めて。
ウツホは、友人の肩がふうふうと息をつくころ、その肩をそっと押さえ、彼の顔が上がったところでとうとう口を開いた。
「そんなことないよ、もう少し頑張ろう?」
ああ。
返事ともうめきとも付かない声が男の口から洩れた。たった一言を境に、友人の瞳がウツホを映すことは無くなった。友人はふらふらとバーを飛び出して、そのまま帰ってこなかった。
ウツホは残りのロングアイランド・アイスティーを飲み終わったころ、二人分の清算を済ませ、帰路についた。
帰り道には友人の住む家があることを知っていたので、ウツホは緩慢な仕草で顔を上げて友人の家の窓を探した。未だ眠るには早い時間、いつもならば彼の家の照明は安っぽいベージュのカーテンを照らして窓の外に家具の影を映している筈だが、今日に限ってはその光はなく、並ぶアパートの窓にはポツリと黒い点が浮かんでいた。駅に近いアパートは満月ではなく安っぽい街灯の光に煌々と照らされている。ウツホは彼の家に泊まった時、電気が消えた部屋の中も街灯が照らすことに辟易したことを思い出した。
今頃は彼もあの光に照らされているのだろう。
ウツホはそれきりアパートに背を向け、冷え込む夜風から守るようにフードを引き揚げすっぽりと被った。
「なあ、お前だって俺の気持ちがわからないのに、俺が分かってやる必要なんて無いだろう」
才能の無い男の話をしよう。
彼はどうしても欲しいものがあって、それが得られなくて、とうとう気が狂ってしまったので、何を欲しがっていたのか忘れてしまった。
だから彼は少しだけ「いいな」と思った人間を超える方法を、死によって超えることに決めた。そいつが居なければ、そいつの才能もなくなる。彼は二度とそいつに「いいな」と思うことは無くなるし、そうして超えてしまった人間は彼にとって無価値になるから、考える必要なんて無くなるから、つまりそう、誰だってこう考えるはずだ、みんな死ねばいい。
次の日、彼のマンションに届いた新聞の中には、一人の男の自殺の記事が載っていた。
ウツホは少しだけその記事に目をやって、それから二度と友人だった男のことを思い出すことは無かった。
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ロングアイランド・アイスティー
ウォッカベースのカクテル。紅茶を一滴も使わずに、見た目および味を紅茶に近づけた点が特徴のロングドリンクである。
ウツホに纏わるほとんどすべては他人の何かで形成されていて、彼は彼自身に一切の価値を見いだせない。
能力者に狙われれば、彼は容易に命を投げ出すことだろう。
「どうしてって?あんたのほうが俺より才能があったってことで、つまりそれはあんたにとって俺が虫けらみたいなもんだってことだ。誰だってそう思うだろう?」
鴨原ウツホ
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