前提として、話しておかなければならないのはたったこれだけだ。

「先輩、確か良いトコの出でしたよね。『死肉の蠅』初版持ってたりしねェッスか」

ファウストは死霊術を愛しており、

「きみは何か頼む時だけ私を先輩扱いするのだな。まあいい、汚すなよ」

ネブラは死を愛している。
そして、

「あ、あの、それってどんな本…なんでしょうか」
「…」
「…」
「「知らない方がいい」」

ファウストはまたメムを愛し、ネブラはそのことを考えると、少しだけ不機嫌になる、ということ。


 席から立ち上がったネブラは、チェストの魔力錠を丁寧に開き、収拾物の内から革張りの書物を取り出した。

 「ほら、これだ。あまり他人には言うな。面倒なことになる」
 「りょーかい」

暗にその書物がもつ呪力のことを示しながら、古代の文明において「おぞましきもの」を意味する図が繊細な意匠でもって緻密に彫られているその書物を、彼はおもむろに―――ファウストに向かって放り投げた。

 「ひゃっ!?」
 「うお危ねッ!?」

 少女は椅子ごと大きく後退したが、椅子の足が絨毯にかかったのか、そのまま後ろに倒れそうになる。
 泡を食ったファウストは右手で少女を支え、同時に左手で印を組み、浮遊術の陣でもって宙を舞う書物を受け止めた。

 「流石だな」

 しっかりとチェストを閉め終えたネブラが感心したように頷くと、硬直していた2人の時間は再び動き始める。具体的に言うと、いつもの通り、メムが必要以上に照れ、ファウストが必要以上にぶっきらぼうに(かつデリカシーに欠如した)応えを返す、いつものやりとりが行われた。
 微笑ましい、というのだろう。恐らくは。
 3つも年下の、それも下級生のやりとりに、上級生たる自分が覚える感傷などそれ以上でもそれ以下でもあってはならない。

 けれどネブラが覚えたのは、苛立ちだった。

 「何で投げたんだよ…意味わかんね」
 「咄嗟に本を守れるような人間でなければ、預けることなどできん」

 席につき、紅茶に口をつけながら。
 ネブラはふくよかな香りとともに、今考えている全てを飲み込んだ。



 ネブラは死を愛している。
 また同じように、死に近い者を愛するのだ。


 その男の在り方は、ネブラにとっては屍と同じくらい美しいものだった。しかし何も、常に淀んだ沼のような瞳、土気色に近い栄養の足りていない肌、そんな生気の足りない姿をして「屍」と評しているわけではない。
 彼は死霊術士だった。
 それも、とびっきり、腕利きの、天分の才をもって、それを研鑽し続ける、完成されつつある死霊術士だったのだ。

 さきほどの目は良かった、と思う。

 ネブラが彼のうちでことのほか愛しているのは、魔術を行使したり、死霊術に関することを眼前にしたときの、彼のぎらぎらと輝いた目だ。


 「それ…持って帰るんだよね?」
 「ん。別に怖いもんじゃねーって、気にすんな」

 けれどそれは、日だまりのような少女の存在ですぐに霧散する。ファウストがメムを愛しているのは誰の目にも明らかだった。勿論、人並みに洞察力を持ち合わせているネブラにも。



 (殺してしまえばいいのに)

 どこかで囁く声が、いつもネブラの邪魔をする。彼はあくまで普通の学生であり、研究者であるのだと、そうありたいと願い続けているのにも関わらず。

 (ファウストがメムを殺して、彼女を愛するように死体を愛せばいいのに)

 少女にはわからない死の世界を、わたしは共に見ることができるのだと。
 子供のように癇癪を起こしてしまいそうになるのだ。



 とん、と膝を叩く感触に視線を落とすと、髪から滑り落ちたリボが今にも膝から転げ落ちそうになっていた。纏めにくい質のネブラの髪は、こうしてたまに、束縛を厭うのだ。

 「…ああもう、鬱陶しいな」
 「またかよ、もう剃っちまえば?」
 「ええー?もったいないよ!」

 体から空気を絞り出すようにして深く息をつき、ネブラは髪を纏め直す。きゃらきゃらと下らないことで盛り上がるカップルたちをどうからかってやろうか、思考をそらしながら。


 鈍色の髪を拘束する髪飾りの刺繍がちらりと光った。
 少女の器用な手で施された、小さな花の刺繍だった。
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