・帰郷(夜介)
・猫ひろい(夜介)
・都合のよい二択(まにゆか)
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・帰郷
大掃除に参加できなかった詫びを込めた土産物ばかりが詰まったボストンバッグを提げて黒塗りの門をくぐる。まるで武家のそれのように大袈裟な造りだが、守っていたのではなくて封じていたのだというから、さしずめ帰郷する自分はわざわざ毒壺の封を解く考えなし。けれども自ら開けねば知らぬ間に封を解いた蛇が食らいついてくるのだから、せめてそれに向かう時くらいは自分で選ぼうと云うのが帰郷の動機である。
ぎし、ぎし、と薄く積もった雪を踏む度に、石畳と土の境目が透けて見える。子供の頃、つるりと磨かれた石畳の方を踏んで転んだのをふと思い出して、薄く笑った。
夜介の一族らにとっては、長男の失踪は命に係わる重大な事件だ。それが迷信と気狂いの織りなす出鱈目であったとしても、気狂いたち本人にとっては真実に違いない。直系の長男が守護を保たなければ家がまるごと呪われる。知らんがな、勝手に呪われておけ、と思いつつ帰郷を続けるあたり、自分はあまり独り立ちできていないのかもしれない、と夜介は思う。
趣味の解体も世間にバレれば大事に違いないし、捕まってしまっては呪いの存在否定もままならない。興信所の手から逃れる独り立ちの方法とか、読書好きの友人ならば心当たりの一つや二つ持ち合わせてはいないかと、頼る気持ちは無きにしもあらず。
けれども夜介は一方で、呪いの存在を認めている。
つまりは一族の粘っこい縁そのもので、彼らが友人に狙いを定め、何か余計なことを吹き込むのではと思えば、キリキリと胃痛に似たものを覚えたりもするのである。タダでさえ怖がりの彼に、たとえば呪いだの、死人の念だの、断ち切れない怨念だの、そんな在りもしない彼らの現実を囁き続ければ、彼の精神は途端に弱るに違いないのだ。
それが夜介の―――爪無の長男が纏った呪いでないといえば、嘘になる。
「ただいま」
ことことと煮物を作る音と香りが奥から響き、油がひき直されたと見える板張りの床を眺めて躊躇していれば、一拍遅れて「あらあ、遅かったわねえ」としっかり和装に着替えた叔母が出迎えた。玄関に近い部屋から絶えず聞こえる衣擦れの音を訝しみ眉をひそめると、もうすっかりこっちは準備が出来ているのよ、と逆月に似た笑顔が浮かぶのだ。
さても逃れ得ぬ深い怨念よ。
どうも、今回も東京銘菓は帰りの電車で食べる羽目になりそうだと、鞄のベルトを握り直した。
・猫ひろい
夜介は猫を飼ったことがない。猫は祟るというからだ。…もちろん、それを気にしていたのは夜介ではなく、彼の家族だったのだけれど。
祟るならまだしも、邪気を引き受けて死んでしまっては哀れだ、とまで言う家族に、夜介少年は深く深くため息をついた。
確かに、あの爪無の家の猫だと石持て追われれば子猫は一たまりもないだろう。
それは確かに、爪無の家が負う呪いだった。
そんな昔の夢を見た。
「…君はなにをしてるのかな」
夢と現の境目の浮遊感を楽しむ間もなく覚醒したのは、胸に乗ってなにやら人の腕を味わっている人影を発見してしまったためだ。朝から大事件である。…つい数日前ならば飛び起きて散弾銃を向けていたところだが、痛覚が鈍くなった今となってはさしたる傷も負わないと判って追い払う気も起きない。
猫の甘噛みに似た鈍い刺激は、文明がまだ生きていた頃ならば赤いランドセルを背負っていたであろう、小さな子供によるものだ。
もふ、もふ、と歯を立てるのを止めてこちらを見る目は、まだ生者のそれに近い意志の光を湛えていた。
「あたし、ゾンビだから」
淡々と、しかし確実に説明不足の言は、しかし夜介には良く理解できるものだった。生きる屍の名で呼ばれる、この島に氾濫する脅威は、人を食事にする人型の獣だ。…そしてそれは時に、噛んだ相手にその性質を伝染させる。今の夜介が、人に食欲を覚え、体温と痛覚、その他諸々の人間らしさを失いつつあるように。
夜介の腕を食んだ口には独特の生ぬるさは無く、ひんやりと、乾いてすらいた。
「…残念、俺もゾンビだよ」
どうもこの子供は人とそれ以外を感じ取る嗅覚が鈍いようだった。
夜介の言葉をしばし吟味したのち、少女は僅かに眉を顰め、嫌いな食べ物をそうするように夜介の腕を両手で遠ざけた。
どうしたものかな、と夜介は嘆息した。
意志のある同胞とやらは初めてで、交流に餓えていた彼にとってはこの上ない良客に違いないのだが、同行するには少し頼りないのも確かだ。おまけに夜介の悪癖が、「彼女を裂くのはどんなだろう」と興味を示し始めていた。
自分に危機が忍び寄っていることも知らず、少女は呆けたようにして夜介の腹に座り込んでいる。
死人と見紛う白い肌。血の通わない青い唇。
見る者が見れば直ぐに判る決定的な違い。
大人に石持て追われれば、一たまりもないようなか細い首。
「………ヒマなら俺と遊ぶ?」
浮遊感が再び訪れたような気がして、夜介はそのふわふわとした心地の赴くがままに、そう呟いた。
何も考えていないような顔つきで、少女はこくりと頷いた。
・都合のよい二択
彼女が自分の異変を恐れていることに、私が気付いていることを、彼女はまだ気付かない。
人外とも思えたその力も、良く良く思考を巡らせてみれば学校の制服を着ているあたりで予想がつくというものだ。今の彼女がどのような状態であれ、彼女はもともと普通の学生として生きてきたに違いない。そして私は、人を外見で定義するのではなく内面で定義するタイプの人種だった。…もっとも、今のこの地において、私と違う意見のものは、大抵喉笛を噛み千切られていることだろうけれど。
つまり魘される彼女はこの島においては私という個人から見ても、島という一つの社会にとっても人間であった。
「早く会えればいいね」
眠る少女の、汗で張り付いた前髪を払いながら、私は彼女の望みと少しだけ異なる願いに気が付いた。
彼女が姉に会うことがどのような結果を齎したとて―――彼女が悲しむ結果になったとしても、私にとって都合が悪いわけではない。
「会って、笑いあえればいいね」
振り切るようにして善人の面を被った。
まにゆかへのお題は『涙の匂い・鋭い棘を言葉で包む・わざと掛け違えたボタン』です。
・猫ひろい(夜介)
・都合のよい二択(まにゆか)
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・帰郷
大掃除に参加できなかった詫びを込めた土産物ばかりが詰まったボストンバッグを提げて黒塗りの門をくぐる。まるで武家のそれのように大袈裟な造りだが、守っていたのではなくて封じていたのだというから、さしずめ帰郷する自分はわざわざ毒壺の封を解く考えなし。けれども自ら開けねば知らぬ間に封を解いた蛇が食らいついてくるのだから、せめてそれに向かう時くらいは自分で選ぼうと云うのが帰郷の動機である。
ぎし、ぎし、と薄く積もった雪を踏む度に、石畳と土の境目が透けて見える。子供の頃、つるりと磨かれた石畳の方を踏んで転んだのをふと思い出して、薄く笑った。
夜介の一族らにとっては、長男の失踪は命に係わる重大な事件だ。それが迷信と気狂いの織りなす出鱈目であったとしても、気狂いたち本人にとっては真実に違いない。直系の長男が守護を保たなければ家がまるごと呪われる。知らんがな、勝手に呪われておけ、と思いつつ帰郷を続けるあたり、自分はあまり独り立ちできていないのかもしれない、と夜介は思う。
趣味の解体も世間にバレれば大事に違いないし、捕まってしまっては呪いの存在否定もままならない。興信所の手から逃れる独り立ちの方法とか、読書好きの友人ならば心当たりの一つや二つ持ち合わせてはいないかと、頼る気持ちは無きにしもあらず。
けれども夜介は一方で、呪いの存在を認めている。
つまりは一族の粘っこい縁そのもので、彼らが友人に狙いを定め、何か余計なことを吹き込むのではと思えば、キリキリと胃痛に似たものを覚えたりもするのである。タダでさえ怖がりの彼に、たとえば呪いだの、死人の念だの、断ち切れない怨念だの、そんな在りもしない彼らの現実を囁き続ければ、彼の精神は途端に弱るに違いないのだ。
それが夜介の―――爪無の長男が纏った呪いでないといえば、嘘になる。
「ただいま」
ことことと煮物を作る音と香りが奥から響き、油がひき直されたと見える板張りの床を眺めて躊躇していれば、一拍遅れて「あらあ、遅かったわねえ」としっかり和装に着替えた叔母が出迎えた。玄関に近い部屋から絶えず聞こえる衣擦れの音を訝しみ眉をひそめると、もうすっかりこっちは準備が出来ているのよ、と逆月に似た笑顔が浮かぶのだ。
さても逃れ得ぬ深い怨念よ。
どうも、今回も東京銘菓は帰りの電車で食べる羽目になりそうだと、鞄のベルトを握り直した。
・猫ひろい
夜介は猫を飼ったことがない。猫は祟るというからだ。…もちろん、それを気にしていたのは夜介ではなく、彼の家族だったのだけれど。
祟るならまだしも、邪気を引き受けて死んでしまっては哀れだ、とまで言う家族に、夜介少年は深く深くため息をついた。
確かに、あの爪無の家の猫だと石持て追われれば子猫は一たまりもないだろう。
それは確かに、爪無の家が負う呪いだった。
そんな昔の夢を見た。
「…君はなにをしてるのかな」
夢と現の境目の浮遊感を楽しむ間もなく覚醒したのは、胸に乗ってなにやら人の腕を味わっている人影を発見してしまったためだ。朝から大事件である。…つい数日前ならば飛び起きて散弾銃を向けていたところだが、痛覚が鈍くなった今となってはさしたる傷も負わないと判って追い払う気も起きない。
猫の甘噛みに似た鈍い刺激は、文明がまだ生きていた頃ならば赤いランドセルを背負っていたであろう、小さな子供によるものだ。
もふ、もふ、と歯を立てるのを止めてこちらを見る目は、まだ生者のそれに近い意志の光を湛えていた。
「あたし、ゾンビだから」
淡々と、しかし確実に説明不足の言は、しかし夜介には良く理解できるものだった。生きる屍の名で呼ばれる、この島に氾濫する脅威は、人を食事にする人型の獣だ。…そしてそれは時に、噛んだ相手にその性質を伝染させる。今の夜介が、人に食欲を覚え、体温と痛覚、その他諸々の人間らしさを失いつつあるように。
夜介の腕を食んだ口には独特の生ぬるさは無く、ひんやりと、乾いてすらいた。
「…残念、俺もゾンビだよ」
どうもこの子供は人とそれ以外を感じ取る嗅覚が鈍いようだった。
夜介の言葉をしばし吟味したのち、少女は僅かに眉を顰め、嫌いな食べ物をそうするように夜介の腕を両手で遠ざけた。
どうしたものかな、と夜介は嘆息した。
意志のある同胞とやらは初めてで、交流に餓えていた彼にとってはこの上ない良客に違いないのだが、同行するには少し頼りないのも確かだ。おまけに夜介の悪癖が、「彼女を裂くのはどんなだろう」と興味を示し始めていた。
自分に危機が忍び寄っていることも知らず、少女は呆けたようにして夜介の腹に座り込んでいる。
死人と見紛う白い肌。血の通わない青い唇。
見る者が見れば直ぐに判る決定的な違い。
大人に石持て追われれば、一たまりもないようなか細い首。
「………ヒマなら俺と遊ぶ?」
浮遊感が再び訪れたような気がして、夜介はそのふわふわとした心地の赴くがままに、そう呟いた。
何も考えていないような顔つきで、少女はこくりと頷いた。
・都合のよい二択
彼女が自分の異変を恐れていることに、私が気付いていることを、彼女はまだ気付かない。
人外とも思えたその力も、良く良く思考を巡らせてみれば学校の制服を着ているあたりで予想がつくというものだ。今の彼女がどのような状態であれ、彼女はもともと普通の学生として生きてきたに違いない。そして私は、人を外見で定義するのではなく内面で定義するタイプの人種だった。…もっとも、今のこの地において、私と違う意見のものは、大抵喉笛を噛み千切られていることだろうけれど。
つまり魘される彼女はこの島においては私という個人から見ても、島という一つの社会にとっても人間であった。
「早く会えればいいね」
眠る少女の、汗で張り付いた前髪を払いながら、私は彼女の望みと少しだけ異なる願いに気が付いた。
彼女が姉に会うことがどのような結果を齎したとて―――彼女が悲しむ結果になったとしても、私にとって都合が悪いわけではない。
「会って、笑いあえればいいね」
振り切るようにして善人の面を被った。
まにゆかへのお題は『涙の匂い・鋭い棘を言葉で包む・わざと掛け違えたボタン』です。
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