「ねえその続きは?セーショジョちゃんじゃなかった子は、どうなったの旦那」
「さて、それから先は私の受け取った記録には残されておりませんので」
「なあんだ、まあ、そういうもんなのかな」
ところで、龍之介の手からは流線形のタトゥーが失われて久しいが、厚い書物を手繰る男の腕を廻る朱色もまたすっかり消えてしまっているのはどういったことだろう。興味の対象を移した男はの指はかつてそこにあった(あるいはこれから先にある)はずの跡をなぞった。初めは自らの、そしてその後にはちょうど龍之介の顔の横に置かれた、みっしりと筋肉の詰まった腕を。こちらがわからむこうがわ、そしてまたこちらがわへと廻るときになってようやく人差し指ひとつでは為し得ないと気付き、体ごと男の方を向き、もう一本の人差し指でその流れを次いだ。理性の瞳が呆れたように見下ろす視線が龍之介の左頬に控えめに落ちてきたが、敢えて龍之介はそれを受け流して作業に没頭した。
「私が惜しいですか、龍之介」
かつて師であった、あるいはこれから師になる男は穏やかに問う。狂気を失った己は与するのに相応しくないかと。それはまったく彼らしい杞憂であったし、同時に可能性を咀嚼しようという理性のあらわれでもあった。龍之介にとっては驚くべき疑問ではあるのだが、どうも、この男ときたら自分の人徳というものに確信が持てずにいるようだった。龍之介は指を走らせることを止め、腕にかかる影―――前髪に隠れた男の顔を覗き込もうと、少しだけ首を傾げた。
神様の下働きになるくらいなのだから、もう少し自信を持ってもいいと思うけど。いや、それ以前に、だ。
「ていうか、旦那、この状況でそれいう?」
果たして、死のあらましを睦言に替える状況に至ってもなおその認識であるというのは、生きた時代が違うという理由のみが原因なのかどうか。薄い掛け布一枚の下には、未だ情事の痕と冷めない熱がじっと身を隠している。快楽の限りを尽くしたという男にとっては、体を重ねるという行為は息をするに等しいものなのか、それにしても初めての同性相手にそのまま操を立てている己を思えば、見上げる目にも少しは恨みがましい色が混じるというものだ。
だが、彼の貞操への理解が教義の範囲に留まらないことは、彼の云った「涜神」が赤を暴くほかにも多くの手段を用いて行われていたことからもよく理解できる。つまりは理解していてこれ。どうも、以前から外部の意見を聞き入れない傾向にある男ではあるが、理性の有無にかかわらず、彼の性質として現れるこれはよく言えば貴族的、端的に言えばくそめんどくさいメンタルというやつに違いなかった。
男は龍之介の言葉を吟味しているのか、煙に撒こうという偽りととったのか、眉をひそめて龍之介を静かに見下ろしている。龍之介の良く知る状況では、こののちに龍之介の首は気管を塞ぐほどに強く(驚くべきことに、彼はそれを片手で成し遂げるのだ!)絞められ、力なき自分と相手の差異を思い知らされるという楽しみに貢献するのだけれども、今の彼には同じことは期待できない。何を考えているかは前からよくわからなかったが、理性もつ相手に「何をするかも予測できない」という状況は龍之介の人生経験においても新鮮な驚きでもって迎えられた。さすがは旦那、と、感心しかけて、気づく。
(その表情はすこし、オレの知っている旦那ににている)
腕に添わせたままの指を伸ばして、寄せられた眉根を軽くなぞる。驚いたように少し見開いた目は、ますます龍之介の記憶に近づくようだった。
「たぶん、旦那がオレとこうしているのと同じ気持ちだと思うよ」
悲しみ、怒り、はたまた、ほかのなにか。
彼を狂気に陥らせるにはまったく足りないが(なにせ龍之介は聖なるとかいう言葉には遠く、童貞でもなければ、他でもなく彼の手によって処女でもなくなった身だ)、馴染むスツールを得る以前の彼を知ることもまた愉快である。何せ彼は、寝床の端に寄せられた書物を開く前に散々思い知らされた通り―――聖人然とした姿であるときでさえ、饗宴の支配者として、悦びと愉しみを喰らい尽くした男だ。龍之介と出会った店のほかに、数々の遊び場を荒らした遊び人の歴史をまざまざと見せつけられることは、日々驚きと感心、新たな発見をもたらした。
きっと旦那は、惜しむことに慣れてしまって、ときどき混乱してしまうに違いない。
「同じ、ですか」
何が気に食わないのか、さらに深くなった眉間の谷を龍之介は笑いながらぐりぐりと伸ばした。わかんないかなあ。わかりません。
「答えはその本にも書いてあったのに」
「私は、あなたに欺かれてはいないでしょうか」
「もうちょっと頑張ってみてよ、答えは教えてあげるから」
とうとう、への字に口をまげて押し黙ってしまった男に、くく、と声をあげて龍之介は笑った。眉間の指のかわりに、半身を起こして額へ唇を落とす。
あんたがさっき言ったんだ、似たもの同士が呼ばれるんだって。
信仰の真実と、本当の死を知りたかった奴らがまた出会ったんだから、知りたいと思ってこうしているに違いないんだよ。
たぶん。
-----------------------------
信仰の本質も本当の死も等しくラブなのだ。
座旦那とひっかかった龍ちゃん。
「さて、それから先は私の受け取った記録には残されておりませんので」
「なあんだ、まあ、そういうもんなのかな」
ところで、龍之介の手からは流線形のタトゥーが失われて久しいが、厚い書物を手繰る男の腕を廻る朱色もまたすっかり消えてしまっているのはどういったことだろう。興味の対象を移した男はの指はかつてそこにあった(あるいはこれから先にある)はずの跡をなぞった。初めは自らの、そしてその後にはちょうど龍之介の顔の横に置かれた、みっしりと筋肉の詰まった腕を。こちらがわからむこうがわ、そしてまたこちらがわへと廻るときになってようやく人差し指ひとつでは為し得ないと気付き、体ごと男の方を向き、もう一本の人差し指でその流れを次いだ。理性の瞳が呆れたように見下ろす視線が龍之介の左頬に控えめに落ちてきたが、敢えて龍之介はそれを受け流して作業に没頭した。
「私が惜しいですか、龍之介」
かつて師であった、あるいはこれから師になる男は穏やかに問う。狂気を失った己は与するのに相応しくないかと。それはまったく彼らしい杞憂であったし、同時に可能性を咀嚼しようという理性のあらわれでもあった。龍之介にとっては驚くべき疑問ではあるのだが、どうも、この男ときたら自分の人徳というものに確信が持てずにいるようだった。龍之介は指を走らせることを止め、腕にかかる影―――前髪に隠れた男の顔を覗き込もうと、少しだけ首を傾げた。
神様の下働きになるくらいなのだから、もう少し自信を持ってもいいと思うけど。いや、それ以前に、だ。
「ていうか、旦那、この状況でそれいう?」
果たして、死のあらましを睦言に替える状況に至ってもなおその認識であるというのは、生きた時代が違うという理由のみが原因なのかどうか。薄い掛け布一枚の下には、未だ情事の痕と冷めない熱がじっと身を隠している。快楽の限りを尽くしたという男にとっては、体を重ねるという行為は息をするに等しいものなのか、それにしても初めての同性相手にそのまま操を立てている己を思えば、見上げる目にも少しは恨みがましい色が混じるというものだ。
だが、彼の貞操への理解が教義の範囲に留まらないことは、彼の云った「涜神」が赤を暴くほかにも多くの手段を用いて行われていたことからもよく理解できる。つまりは理解していてこれ。どうも、以前から外部の意見を聞き入れない傾向にある男ではあるが、理性の有無にかかわらず、彼の性質として現れるこれはよく言えば貴族的、端的に言えばくそめんどくさいメンタルというやつに違いなかった。
男は龍之介の言葉を吟味しているのか、煙に撒こうという偽りととったのか、眉をひそめて龍之介を静かに見下ろしている。龍之介の良く知る状況では、こののちに龍之介の首は気管を塞ぐほどに強く(驚くべきことに、彼はそれを片手で成し遂げるのだ!)絞められ、力なき自分と相手の差異を思い知らされるという楽しみに貢献するのだけれども、今の彼には同じことは期待できない。何を考えているかは前からよくわからなかったが、理性もつ相手に「何をするかも予測できない」という状況は龍之介の人生経験においても新鮮な驚きでもって迎えられた。さすがは旦那、と、感心しかけて、気づく。
(その表情はすこし、オレの知っている旦那ににている)
腕に添わせたままの指を伸ばして、寄せられた眉根を軽くなぞる。驚いたように少し見開いた目は、ますます龍之介の記憶に近づくようだった。
「たぶん、旦那がオレとこうしているのと同じ気持ちだと思うよ」
悲しみ、怒り、はたまた、ほかのなにか。
彼を狂気に陥らせるにはまったく足りないが(なにせ龍之介は聖なるとかいう言葉には遠く、童貞でもなければ、他でもなく彼の手によって処女でもなくなった身だ)、馴染むスツールを得る以前の彼を知ることもまた愉快である。何せ彼は、寝床の端に寄せられた書物を開く前に散々思い知らされた通り―――聖人然とした姿であるときでさえ、饗宴の支配者として、悦びと愉しみを喰らい尽くした男だ。龍之介と出会った店のほかに、数々の遊び場を荒らした遊び人の歴史をまざまざと見せつけられることは、日々驚きと感心、新たな発見をもたらした。
きっと旦那は、惜しむことに慣れてしまって、ときどき混乱してしまうに違いない。
「同じ、ですか」
何が気に食わないのか、さらに深くなった眉間の谷を龍之介は笑いながらぐりぐりと伸ばした。わかんないかなあ。わかりません。
「答えはその本にも書いてあったのに」
「私は、あなたに欺かれてはいないでしょうか」
「もうちょっと頑張ってみてよ、答えは教えてあげるから」
とうとう、への字に口をまげて押し黙ってしまった男に、くく、と声をあげて龍之介は笑った。眉間の指のかわりに、半身を起こして額へ唇を落とす。
あんたがさっき言ったんだ、似たもの同士が呼ばれるんだって。
信仰の真実と、本当の死を知りたかった奴らがまた出会ったんだから、知りたいと思ってこうしているに違いないんだよ。
たぶん。
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信仰の本質も本当の死も等しくラブなのだ。
座旦那とひっかかった龍ちゃん。
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