ネブラの恋人、は大変ややこしい事情に置かれているとはいえ、一応のこと、その事情をうまいこと隠し続けたまま学院を卒業しようとしている。より単純に言うならば、ネブラの恋人であるカロルス・ユノスは卒業を控えた導師最終学年、というわけだ。
普段は意識していなかったその事実をネブラが改めて認識したのは、彼女の部屋の机に在った進路希望調査用紙に気付いたその時だった。白紙のまま放置されているかのように見えたその書類だが、普段乱雑極まりない机が整然としている以上、彼女の中でも深刻に受け止められている問題であることは否定のしようが無かった。
「どうしようか、とは思っているんだ」
まじまじと見つめていたのが天下の鈍感女にも分かったのか、地べたに座り込みなにやら人形を弄っていた手を止めてカロルスは言った。人形師になることが彼女の希望には間違いないだろう。しかし、男児を望んだからと娘に男の恰好をさせる彼女の両親が、彼女の希望を簡単に呑むかといえば、詳しいことをしらないネブラにとってもそれが困難なことであることは容易に想像がついた。
こういう形で困った顔を見るのは、余り気分のいいものではないな、とネブラは独りごちる。家庭のことにあれこれと口を出すことは憚られるが、かといって恋人の悩みを放置しておけるほどには、ネブラは冷たい人間を演じることができなかった。
「でも、大丈夫だ。ちゃんと書くから」
恋人という間柄になってなお、自分の気持ちを秘めがちなカロルスは何も言わない。そのことがネブラには口惜しくも思えるのだ。頼りにされていない、という自尊心からくるものではなく、後手後手に回りがちな自分の至らなさによるものだ。
彼は冷静な表情を作りながらもそれなりに動揺していたし、そのまま会話を打ち切ろうとした彼女に焦りも感じていた。ただ、それは言い訳にしか過ぎない。彼は、そのまま彼女を失うのではないかということにこそ、怯えていたのだ。
ネブラはとても臆病な男だ。
だから、彼はその動揺に耐えられず、前々から環境を整え彼女に逃げ場を作らずにした上で告げようとしていたことを、うっかりと、くちに出した。
「君は研究者の妻と貴族の妻、どちらになりたい?」
「…は?」
「…ああ、えーと。つまり、私の進路についてなんだが」
「………え?」
しまった、と彼が口をつぐんだときには遅かった。言葉の意味を理解したのか、徐々に彼女の顔色が赤く染まっていく。
「か、からかうのもいいかげんにしろ!!」
絶叫と称してもおかしくない程の叫びと共に、ネブラは廊下へ叩きだされた。プロポーズした直後の男としては、なんとも情けない姿だ。
今度は果たしていつになったら彼女とまともに話せるのだろう、と、付き合う以前のことを思い起こして、ネブラは煤けた天井を仰いだ。
少なくとも今わかることは、次に会うまでに彼は指輪を用意しなければならない、ということだった。
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