私が悪魔と呼ばれる以前は、異界の住人を呼び出し歴史の裏側を読み解くことがもっぱらの趣味となっていた。それは甘美な喜びであった。異界のものたちは私の眼には殊のほか美しく映った―――みすぼらしい造花一つもそれが「永遠」性を含むのだと知れば触れる事すら躊躇われる神性を帯びるように―――彼らは皆私と異なる生と死を知り、我々只人の絶望、歓喜、享楽を面白そうに眺めるのである。
「やあ、私の親しき友よ」
その時分、私が呼び出す頻度の最も高かった悪魔は私をそのように呼び表した。親しき友。彼は私の何を知るでもなくそう呼ぶ。彼が言うには、
「私と同じものを愛するのなら君はやはり私の友には違いあるまい」
私は彼が愛しているものを知らなかったが、彼は私を一目見たときから親しげに私の名を呼んだ―――契約すること無しに!世界を同じくする者でない、というのはこうも理解に苦しむものかと私は低く唸り、しかし同時にその世界を想像することに喜びを感じていた。
「さて、今日のお望みは何かな、我が友」
私はやはりいつものように、世界の真実を求めた。
真実とは言っても、君の求める真実と私の思うそれが一致しているとは限らない、いつものようにそう前置きはさせてもらうよ。何せ私は悪魔だから、言葉のやりとりには慎重にならねばいけないようだからね。他人事のようだ?まあ、そうだね。悪魔というのは私の真実の一端に過ぎない。言葉の内包する意味は大きい。世界丸ごとを包みこむことすら可能だ。言葉を用い世界を侵す理が魔法と呼ぶものなら、果たして言葉そのものが魔法だという言説を否定できる者はあるだろうか?まあいい。今日の本題は魔法の定義ではないのだから。
そう、内包することとは奥深いものだよ。君はこの地に伝わる歌を知っているかい?いけないね、旅は周囲に目を走らせてこそ価値のあるものだよ。求めるものだけを見つめていては、足を滑らせてしまうだろう。旅は人を大きく変える。人でないものにすら。―――この地に伝わる王は、王族ですら無かった。
信じていないという顔だ。君はいつもそうだねえ。…だがそれは真実だよ。歌には確かに、「彼は偉大な王だった」とあるけれども。少なくとも、この地を治める王族などでは無かった。無骨な男だ。風流を解さない、真直ぐなだけが取り柄のような男。それが彼だった。まあ、剣の腕は立ったようだけどね。魔術の才…は良く知らない。歌にある通り、あらゆる魔術を収めたのか、それが他のものの手柄であるのか、そもそも全くのねつ造なのか、私はその辺にはあんまり興味が無かったから。私が知るのは彼の生き方だ。
この地を治めた偉大な王。
私はそうは思わないし、きっと彼もそんな呼び方を望むことはなかったろうね。それでも彼が王と呼ばれたことは真実なのさ。何故だと思う?…ヒントは既に出してあるよ、考えて御覧。
この地は栄えるべくして栄えた土地だった。交易都市、というのかな、この世の珍しいものは全てそこで手に入るという謳い文句さえあったんだ。目を見張るような見事な雪花石膏の杯、虎の毛皮、珍妙にうねる貴重な香木!なるほど、市場に並ぶそれを見れば誉めたたえたくなるのも頷けるというものだよ。もちろん、多くの人が集まった。世界中の富豪、貴族、商人、学者。舌舐めずりしてその太った腹を暴こうと企む盗賊さえも。
彼はそういった不心得の輩を追い払うためにこの地にやってきた―――と言えば、まだ少しは聞こえがいいかな。はっきり言うなら名を揚げに来たのさ。いや、まだそこまで考えて無かったのかも。良い稼ぎどころだ、とかそんな風に思っていたとしても、私は不思議に思わないよ。意外かい?あらゆる敵にひるむことなく向かった英雄が、そんな俗人だったなんて思わなかった?まあ、人というのはそうした欲望を飼い馴らすことを理性と呼ぶわけで、決して欲望に食い殺されることが無かった彼は、理性の人と―――ううん。なんだか似合わないなあ。まあ、その辺は、解釈次第ということにしておこうか。
とにかく彼はそうしてこの地にやってきた。
そうしてこの世を去った。
彼が歴史的に為し得たことなんて、まあせいぜいがこんなものだね。時の魔王を斃したわけでも、画期的な統治をおこなったわけでも、誰も知らない魔術の真実を明かしたわけでもない。
ふふふ。驚いているね。そう、そのあたりは後世の創作さ。
偉大なる王、そんな名前は本人が一番驚くだろう。目を丸くして、何の冗談だ、って笑うか、さもなくば驚いている間に周りの皆が大笑いするような男が、この地で語り継がれた男の本当、なのだよ。
でも彼は王だった。まぎれもなく。
彼が率いたのは只の傭兵の集団さ。彼は傭兵のリーダーだったけれど、彼らの王ではなかった。一番最初に傭兵団にいた仲間、それが彼の在り方だよ。
だけど、彼は自らの王だった。彼は自らをこそ律していた。
―――彼がいなくなった後、彼の周囲にいたものはこう思ったのだよ。
「ああ、彼の言う『自分』がもう少し大きければ、私は彼の『自分』に入り込むことができたんじゃないか?」
傭兵団の団長が王になった理由はそういうこと。
彼は自分のことのように仲間を大切にした。
…彼はとても慕われていたからね。彼の「自分」に内包されたかったものが次々と現れた。皆、彼を自分が愛するように彼に自分を愛して欲しかった―――話は簡単だ。彼を自らの王に据えればいい。そうだろう?彼は自らの王だったのだから。
一人また一人と、彼になりたがるものが増えていった。
あるものは彼の風信子石色の瞳になりたがった。あるものは彼の黒豹の毛皮のような髪に。彼の乗る鞍鐙、彼の立つ地面、彼の吸う空気!ああ、全くもって病的なまでのけなげな想いだけれど、まあ、賭けてもいい、本人は絶対に「いらねー」って言っただろうねえ。かわいそうに…どちらがどう可哀そうなのかはともかく。その時彼はもう既に没していたし、彼自身を知るものは徐々に少なくなっていた。彼を愛するものはやがて彼を取り巻く伝説と化し、彼の伝説を愛する者は彼の伝説になりたがった。その結果がこれだ。
砂漠の黒き精霊王。
当時を知るものがいれば、十中八九笑い死ぬだろう。
でも、それはやはり真実の一端だ。彼は少なくとも彼の王で、そんな男を慕ったものは数え切れないほどいたのだから。
さて、これが今宵私の語る真実だ。お気に召したかい?…それは重畳。同朋の喜びは私の喜びだよ。
…うん?
…ああ、まあ、そうだ。良く分かったね。確かに私は彼と知り合いだった。晩年の彼が私を覚えているとは思わないけれど。
私にとっての真実の彼か…難しいところだね。然程縁が深かったわけじゃないから、語る言葉が少なすぎるし。
チョコチップのスコーンが好きだったね。
存外甘党なんだ、ほら、体を動かすから、腹に溜まるものを好んで食べていたわけだよ。…まあ、一番は肉じゃないかな?テーブル中の茶菓子を浚いきってなお、羊肉の串焼きを山のように食べていた時には呆れたものだよ。
彼は私をネブラ、と呼んで、私は彼をルーファス、と呼んでいた。
あれはあれで、なかなかどうして、興味深い茶会だったよ。
魔法陣に浮かぶ悪魔はそう云うと酷く嬉しそうな笑みを浮かべ、
「彼の死もなかなかだった」
そんな風に語り終えた。
砂岩に薔薇の花が咲く夜、私が世界の歴史に埋没する悪魔と変ずる前の、三日前のことだった。
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うさたんリク「ネブやん」より
「やあ、私の親しき友よ」
その時分、私が呼び出す頻度の最も高かった悪魔は私をそのように呼び表した。親しき友。彼は私の何を知るでもなくそう呼ぶ。彼が言うには、
「私と同じものを愛するのなら君はやはり私の友には違いあるまい」
私は彼が愛しているものを知らなかったが、彼は私を一目見たときから親しげに私の名を呼んだ―――契約すること無しに!世界を同じくする者でない、というのはこうも理解に苦しむものかと私は低く唸り、しかし同時にその世界を想像することに喜びを感じていた。
「さて、今日のお望みは何かな、我が友」
私はやはりいつものように、世界の真実を求めた。
真実とは言っても、君の求める真実と私の思うそれが一致しているとは限らない、いつものようにそう前置きはさせてもらうよ。何せ私は悪魔だから、言葉のやりとりには慎重にならねばいけないようだからね。他人事のようだ?まあ、そうだね。悪魔というのは私の真実の一端に過ぎない。言葉の内包する意味は大きい。世界丸ごとを包みこむことすら可能だ。言葉を用い世界を侵す理が魔法と呼ぶものなら、果たして言葉そのものが魔法だという言説を否定できる者はあるだろうか?まあいい。今日の本題は魔法の定義ではないのだから。
そう、内包することとは奥深いものだよ。君はこの地に伝わる歌を知っているかい?いけないね、旅は周囲に目を走らせてこそ価値のあるものだよ。求めるものだけを見つめていては、足を滑らせてしまうだろう。旅は人を大きく変える。人でないものにすら。―――この地に伝わる王は、王族ですら無かった。
信じていないという顔だ。君はいつもそうだねえ。…だがそれは真実だよ。歌には確かに、「彼は偉大な王だった」とあるけれども。少なくとも、この地を治める王族などでは無かった。無骨な男だ。風流を解さない、真直ぐなだけが取り柄のような男。それが彼だった。まあ、剣の腕は立ったようだけどね。魔術の才…は良く知らない。歌にある通り、あらゆる魔術を収めたのか、それが他のものの手柄であるのか、そもそも全くのねつ造なのか、私はその辺にはあんまり興味が無かったから。私が知るのは彼の生き方だ。
この地を治めた偉大な王。
私はそうは思わないし、きっと彼もそんな呼び方を望むことはなかったろうね。それでも彼が王と呼ばれたことは真実なのさ。何故だと思う?…ヒントは既に出してあるよ、考えて御覧。
この地は栄えるべくして栄えた土地だった。交易都市、というのかな、この世の珍しいものは全てそこで手に入るという謳い文句さえあったんだ。目を見張るような見事な雪花石膏の杯、虎の毛皮、珍妙にうねる貴重な香木!なるほど、市場に並ぶそれを見れば誉めたたえたくなるのも頷けるというものだよ。もちろん、多くの人が集まった。世界中の富豪、貴族、商人、学者。舌舐めずりしてその太った腹を暴こうと企む盗賊さえも。
彼はそういった不心得の輩を追い払うためにこの地にやってきた―――と言えば、まだ少しは聞こえがいいかな。はっきり言うなら名を揚げに来たのさ。いや、まだそこまで考えて無かったのかも。良い稼ぎどころだ、とかそんな風に思っていたとしても、私は不思議に思わないよ。意外かい?あらゆる敵にひるむことなく向かった英雄が、そんな俗人だったなんて思わなかった?まあ、人というのはそうした欲望を飼い馴らすことを理性と呼ぶわけで、決して欲望に食い殺されることが無かった彼は、理性の人と―――ううん。なんだか似合わないなあ。まあ、その辺は、解釈次第ということにしておこうか。
とにかく彼はそうしてこの地にやってきた。
そうしてこの世を去った。
彼が歴史的に為し得たことなんて、まあせいぜいがこんなものだね。時の魔王を斃したわけでも、画期的な統治をおこなったわけでも、誰も知らない魔術の真実を明かしたわけでもない。
ふふふ。驚いているね。そう、そのあたりは後世の創作さ。
偉大なる王、そんな名前は本人が一番驚くだろう。目を丸くして、何の冗談だ、って笑うか、さもなくば驚いている間に周りの皆が大笑いするような男が、この地で語り継がれた男の本当、なのだよ。
でも彼は王だった。まぎれもなく。
彼が率いたのは只の傭兵の集団さ。彼は傭兵のリーダーだったけれど、彼らの王ではなかった。一番最初に傭兵団にいた仲間、それが彼の在り方だよ。
だけど、彼は自らの王だった。彼は自らをこそ律していた。
―――彼がいなくなった後、彼の周囲にいたものはこう思ったのだよ。
「ああ、彼の言う『自分』がもう少し大きければ、私は彼の『自分』に入り込むことができたんじゃないか?」
傭兵団の団長が王になった理由はそういうこと。
彼は自分のことのように仲間を大切にした。
…彼はとても慕われていたからね。彼の「自分」に内包されたかったものが次々と現れた。皆、彼を自分が愛するように彼に自分を愛して欲しかった―――話は簡単だ。彼を自らの王に据えればいい。そうだろう?彼は自らの王だったのだから。
一人また一人と、彼になりたがるものが増えていった。
あるものは彼の風信子石色の瞳になりたがった。あるものは彼の黒豹の毛皮のような髪に。彼の乗る鞍鐙、彼の立つ地面、彼の吸う空気!ああ、全くもって病的なまでのけなげな想いだけれど、まあ、賭けてもいい、本人は絶対に「いらねー」って言っただろうねえ。かわいそうに…どちらがどう可哀そうなのかはともかく。その時彼はもう既に没していたし、彼自身を知るものは徐々に少なくなっていた。彼を愛するものはやがて彼を取り巻く伝説と化し、彼の伝説を愛する者は彼の伝説になりたがった。その結果がこれだ。
砂漠の黒き精霊王。
当時を知るものがいれば、十中八九笑い死ぬだろう。
でも、それはやはり真実の一端だ。彼は少なくとも彼の王で、そんな男を慕ったものは数え切れないほどいたのだから。
さて、これが今宵私の語る真実だ。お気に召したかい?…それは重畳。同朋の喜びは私の喜びだよ。
…うん?
…ああ、まあ、そうだ。良く分かったね。確かに私は彼と知り合いだった。晩年の彼が私を覚えているとは思わないけれど。
私にとっての真実の彼か…難しいところだね。然程縁が深かったわけじゃないから、語る言葉が少なすぎるし。
チョコチップのスコーンが好きだったね。
存外甘党なんだ、ほら、体を動かすから、腹に溜まるものを好んで食べていたわけだよ。…まあ、一番は肉じゃないかな?テーブル中の茶菓子を浚いきってなお、羊肉の串焼きを山のように食べていた時には呆れたものだよ。
彼は私をネブラ、と呼んで、私は彼をルーファス、と呼んでいた。
あれはあれで、なかなかどうして、興味深い茶会だったよ。
魔法陣に浮かぶ悪魔はそう云うと酷く嬉しそうな笑みを浮かべ、
「彼の死もなかなかだった」
そんな風に語り終えた。
砂岩に薔薇の花が咲く夜、私が世界の歴史に埋没する悪魔と変ずる前の、三日前のことだった。
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うさたんリク「ネブやん」より
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